メディアリテラシーの研究会でムネオハウスについて発表する人

東京大学大学院情報学環を中心に運営されている「ネット表現とリテラシー」についての研究活動グループ・MELL platzの研究会に、先日の日経産業新聞の連載で「ムネオハウス」に関する記事を執筆していた四家正紀氏が発表者として参加され、UGCの事例としてムネオハウスを取り上げていた様です。

<四家さんの報告>
単独視聴からコラボレーション、混成的な創作活動へ

ウェブユーザーから湧き起こってくる集合行動に着目されビジネスへの応用を試みている四家さんは、CGMコンシューマー・ジェネレイテッド・メディア)やUGC(ユーザー・ジェネレイテッド・コンテンツ)の興味深い事例について報告されました。
最初の事例は2002年の「ムネオハウスムーブメント」。「2ちゃんねる」の「テクノ板」で、佐藤宗男代議士の利権問題で取り沙汰されたサハリンの「ムネオハウス」が投稿スレッドに取り上げられると、その語呂合わせから、政治家の答弁などをサンプリングしたメハウスモミュージックが投稿されました。続いて様々なリミックス曲が発表され、ジャケットデザイン、ライナーノーツ、フラッシュムービーの制作やサーバーレンタルの提供、イベントの開催など楽曲に関連した活動が広がっていき、そのクオリティの高さと共に大きな話題を呼びました。実にアルバム20枚分もの曲が生まれたというこの動きでは、自然と分業が生まれ、単なる視聴ではないユーザーによるコラボレーションが実現した、と四家さんは話しました。その一方で、当時は現在の動画投稿サイト「ニコニコ動画」のような場がなくインフラが個人任せで脆弱であり、制作活動、共同作業、発表スペース、いずれも限界があったと指摘しました。
(後略)
MELL platz | メル・プラッツ 第9回研究会報告

論旨は日経産業新聞の記事と同じ。この他の事例としてトリノオリンピックでの2ちゃんねるでのカーリング中継、テレビアニメ「涼宮ハルヒの憂鬱」の成功を挙げています。なお"佐藤宗男"は原文ママ

日米のFlashアニメーション比較を題材とした卒業論文

先日見本の論文でFlashアニメーションを題材にしていた駿河台大学・天野宏司先生の所のゼミ生の卒業論文Flashアニメーション」に記載有り。メインは日米のWebアニメーションの比較ですが、前段の歴史についての部分にムネオハウスを含めた日本の2chFlashアニメーションの歴史について書かれています。

3日本のFlashアニメーションの歴史

(前略)
2002年始めに2ちゃんねる(以下2ch)にFlash・動画2ch掲示板が設立された。最初こそ職人があまり集まらなかったものの,同年の2ch内のムネオハウスブーム(*2)などが起爆剤となり,ハイクオリティなアニメーション,ゲームが続々発表される中で,そこを発表の舞台として活躍する人が多く集まるようになる。多くの職人は作品の主人公にアスキーアート(ASCII Code)の0x20〜0x7eに含まれる文字,記号によって描かれたアート,顔文字が主流)を使用し(比較的キャラが決まっているので,一から設定する必要がない,画力の差がそれほどでない,などの利点がある)たため,それらの作品は「2chFlash」と呼ばれるようになる。そこでFlashのカリスマ的職人も数多く生まれ,年末に紅白分かれてFlash新作の発表を行う「紅白Flash合戦」は大きな注目を浴び,マクロメディアが開催に際して祝辞を送ったほどである。
稲益美沙都 (2008) 「Flashアニメーション」 『駿河台大学 文化情報学部 天野宏司ゼミナール 2007年度 ゼミ論文集』 p2 (PDF形式)

注記については

2 「ムネオハウス」とはこの時期に問題になった,鈴木宗男議員が不正に入札介入した宿泊施設の俗称だが,それを音楽ジャンル“ハウス・ミュージック”とひっかけたジョークスレッド「アシッドハウスムネオハウス」が2chのテクノ板に立ち(2002年2月14日 ,当該スレ )の97(21日)で鈴木氏の国会答弁での喋りをサンプリングした楽曲がアップされ,そうした曲を“ムネオハウス”と呼ぶことになった。
稲益, 前掲, p5.

ばるぼら氏の書籍-天野先生の説明のラインを踏襲した記述になっています。なお肝心の日米比較は検索にyahooビデオを使用しているせいか、作品の選択に大きく偏りが見られます。残念。
なお、この論文がたまたまWebで検索にかかるだけで、実際はもっと多くの学生論文で言及されてはいるのだと思われます。

ゼミ論文用版組見本にFLASHアニメの歴史を書く大学の先生

文化情報学部のゼミ向けに作られた判組の見本の内容がFLASHアニメーションの歴史と日米の文化比較についてのレポートになっており、その中でムネオハウスについての記載が含まれています。該当部分は以下の日本のFlashアニメの歴史についての記述。

3日本のFlashアニメーションの歴史

Flashが日本で注目されたのはFlash2の頃からである。Flashに早くから注目していたメンバーがFlashに関する質疑応答の場として「flash-ml」(現在のFlash-Japan)を開設したこと,「おしえて!!Flash」に代表される解説書がこの時期一挙発売されたことが理由であると考えられる。
Flashへの注目が高まったのがFlash4の頃,多くの個人や企業サイトでFlashが使われるようになり,ネット上での知名度も高まっていく。Flash5の頃には紹介サイトが続々誕生し,Flash情報はそこに集まるようになる。(その他のFlashのバージョン,詳しい機能については別紙にて)
そして,2000年頃からFlashは新しい時代を迎える。2000年の12月末頃から急速にブロードバンドが普及していき,大容量の動画ファイルを(お金と時間がかかるからといって)嫌がる人が減り,製作者側も容量を1Kバイトでも削るために,苦労しなくて済むようになった。2001年には「サザエさん」や「ドラえもん」,妙な音楽などをした違法お笑いFlashが爆発的に作られ,また,日本でおそらく初であろう長編Flashアニメーション「つきのはしずく」や文章を中心とした泣かせるFlash「キミとボク」なども発表された。
2002年始めに2ちゃんねる(以下2ch)にFlash・動画2ch掲示板が設立された。最初こそ職人があまり集まらなかったものの,同年の2ch内のムネオハウスブーム2)などが起爆剤となり,ハイクオリティなアニメーション,ゲームが続々発表される中で,そこを発表の舞台として活躍する人が多く集まるようになる。多くの職人は作品の主人公にアスキーアート(ASCII Code)の0x20〜0x7eに含まれる文字,記号によって描かれたアート,顔文字が主流)を使用し(比較的キャラが決まっているので,一から設定する必要がない,画力の差がそれほどでない,などの利点がある)たため,それらの作品は「2chFlash」と呼ばれるようになる。そこでFlashのカリスマ的職人も数多く生まれ,年末に紅白分かれてFlash新作の発表を行う「紅白Flash合戦」は大きな注目を浴び,マクロメディアが開催に際して祝辞を送ったほどである。
大熊猫 太郎.2008. 「Flashアニメーション」p.2

注釈部分はこんな感じ。

注 ※注・文献は9ポイント
(中略)
2)「ムネオハウス」とはこの時期に問題になった,鈴木宗男議員が不正に入札介入した宿泊施設の俗称だが,それを音楽ジャンル“ハウス・ミュージック”とひっかけたジョークスレッド「アシッドハウスムネオハウス」が2chのテクノ板に立ち(2002年2月14日),当該スレの97(21日)で鈴木氏の国会答弁での喋りをサンプリングした楽曲がアップされ,そうした曲を“ムネオハウス”と呼ぶことになった。
大熊猫 太郎.2008. 「Flashアニメーション」p.3

ばるぼら氏の「教科書が教えないニッポンのインターネットの歴史教科書」を参考にしているようです。

当時の経験から現在のネット創作環境について語る人

ムネオハウスムーブメントの参加者であった事を唯一明言している」とwikipediaに記載されているnaos氏による初音ミクJASRAC登録騒動に関するエントリー。
2002年当時の「ちんこ音頭」「ムネオハウス」でのご自身の経験との比較から論を進めていらっしゃいます。

2002年。
ちんこ音頭」「ムネオハウス」で、音楽業界は気がつくべきだった。あのとき、FM京都さんなどのごく一部を除いて、業界は「所詮は素人がやっていること」と無視をした。実際私はとある現場で「あんなのは素人の遊びだろ?」と言われた。仕方がないのでその人物にはムネオハウスの「yabaiyo」を聴かせた。彼の表情の変化にニヤニヤした。「素人の遊びじゃないでしょ?・・・変わりますよ、音楽業界は」
実際は音楽業界が「泡喰ってる」のではない。「知らないヤツが泡喰ってる」のだ。
実際、アニメや声優さんの楽曲の作編曲家さんがひとりで行う制作作業は、ムネオハウスの制作作業の手法と今や同じ。機材やソフトも進化して、ひとりで、ヴォーカル以外の全部の音が、以前のようなMIDIレベルでなく、リアルで作成可能。中には、manzoさんのようにヴォーカルやコーラスすらこなして、まさに「ALL IN ONE」で直接マスタリングに持って行けるような天才すらいる。
そして職人は今、VOCALOIDで遂にヴォーカルまで手に入れた。まだオールマイティとは言えないが、「うた」が「職人ひとり」でつくることができる。
ちんこ音頭」は作曲者のヘタウマヴォーカルから始まった。「ムネオハウス」は基本インスト曲で、そこにボイスサンプリング。「フルスロットル」も最初は名無しヴォ−カリストの協力で始まった。
ネット音楽の時代なんて、とうの昔に来ていた。
ただ、VOCALOIDブームで、それが表面化した。業界的に、認めざるをえなくなってきただけではないだろうか。
【長文注意】ITmedia News「クリプトン・フューチャー・メディアに聞く」完結を受けて|[Team Get Away / naos project blog]
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部屋の掃除をしていたらイベントグッズが出てきた人

2002年4月5日に新宿LPOで開催された「MUNEO HOUSE Party」で配布されたCDと厨日新聞、ポスターが掘り出されています。

部屋掃除したらムネオハウスのパンフが出てきました。
なんでこんなものが…。
(中略)
今日のいかがなモノか

ムネオハウスのイベント自体はバカイベントでしたが
開場となったロフトプラスワンでは有事法制を考えるイベントが
あったりして、割とカオスな場所です。
コメ食えコメ。:2008年2月

意外と眠ってるようです。

ひとりぼっちのクリスマス・イブに「Tears -Xmas version-」を掛ける人

京都の方だそうです。

(前略)
昨夜はなんだかんだあって、飲みに行くのは回避。
帰宅後、精なる聖なる夜を楽しもうと、
クリスマスソングを探してみたが、ロクなものが見つからない。
辛島美登里の「サイレント・イヴ」が出てきたが、
さすがにこれはつらい orz
しょうがなくDJ MUNEOの「Tears -Xmas version-」を流す。
しばらくして、キリスト教感たっぷりの「Komm, süsser Tod」が
ホーリーな気分(?)に浸れそうと思いつき、
クリスマス・イヴの夜のBGMは「Komm, süsser Tod」をエンドレスで。
降誕祭の前夜に「甘き死よ、来たれ」というのもアレだがorz
(後略)
センプレ・アタッコ仮設倉庫: メープルメロンパンが美味しい日

どれも辛い選曲ですね。

DTM板「【2ちゃんから】一緒にレーベルを作ろう【プロ】」でCD制作を提案した人

4月のスレ立てから放置されていたDTM板のスレッド「【2ちゃんから】一緒にレーベルを作ろう【プロ】」に実際にやってみようとする人が降臨したのが先日7月1日。


438 名前:名無しサンプリング@48kHz[sage] 投稿日:2007/07/01(日) 21:47:35 ID:aTyQkFGq

もしテストケースで良ければ俺やってみようかと思うんだけど、
先ずCD1コイン(500円)売りで『2ちゃんDTMトランスコンピ』を
作ってみようかと思います。
クォリティーコントロールをする為にある程度リテイクに
応じてくれる人のトランス曲を募集して、締め切りは今月一杯。
やりたい人いますか?
参加者5人以上いたら始めてみます。
その後、続けるかどうかは流れを見て決めます。
[DTM@2ch] 【2ちゃんから】一緒にレーベルを作ろう【プロ】

その438氏、今日の書き込みによると、ムネオハウスに匿名で数曲参加していたのだそうです。


463 名前:438 ◆92tvLU8oyw 投稿日:2007/07/03(火) 12:33:07 ID:o/jC6Rvj [2/7]

>>451にもレス返してなかったね。
>M3でたり、浅草の格安ブースでDJやったり、コミケ同人して
>打ち上げやって遊んでる連中だろ?
意味が分かりません。


>オマエラほんとに、年50曲位作れて、気合いあんの?
一人当り年50曲も必要無いですよ。
でも自分だけに関して言えば軽くそのくらいは作ってますね。


>俺はほとんどのパーティに逝った。
俺はパーティーをオーガナイズしたり、
CDを JASRACの承認を得てリリースしたり、
チョイ役だけどプロ作品(sonyやビーイング系で
のダンスリミックス)も多少経験したりしているので、
滅茶苦茶ド素人ってわけじゃないと思いますよ。
まあ、自称ですから信じられないでしょうけど。


>しかし黒字なレーベルは存在しない。
>ムネオハウス(新宿150人)のみだ、だから潰れる。
ムネオハウスが黒字と言ってもあれは非常に小規模と言えますね。
匿名で数曲参加させてもらいましたけど(笑)


>商業トランスで逝くならCSの深夜番組で売り込み
>個性のないトランスを売るしかない、
そういう必要はないでしょう。
もっとカッコいいトランスを目指して売るべきです。

[DTM@2ch] 【2ちゃんから】一緒にレーベルを作ろう【プロ】

どの曲の作者さんだったんでしょうね。

補足


かつて存在したレーベル公式サイトのトップ画像

その後、このスレッドからは438さんが主催のレーベル『big crunch』が生まれ、トランスコンピレーション「I'm NOT A Plastic Case」 (2007年10月10日出荷開始)及びエレクトロ&トランスコンピレーション「E.T.」 (2008年6月5日出荷開始)のアルバム2枚がリリースされました。ただし、その後のスレッドの反応を見る限りではあまり売れなかったようです。

また、これに関連するトピックとして、かつてWikipediaの「モーリー・ロバートソン」の項目には2008年6月15日から2017年7月4日までの約9年間、二枚目のアルバム中の楽曲『Analog』を提供したAnalog氏はモーリー・ロバートソン氏の変名だとする記述が、何ら根拠となる情報源が示されないまま掲載されていました。

真偽の程は不明ですが、もしかするとムネオハウス時代のコネクションが活きていたりしたのでしょうか。

備考

記事投稿日: 2022年2月27日