ゼミ論文用版組見本にFLASHアニメの歴史を書く大学の先生

文化情報学部のゼミ向けに作られた判組の見本の内容がFLASHアニメーションの歴史と日米の文化比較についてのレポートになっており、その中でムネオハウスについての記載が含まれています。該当部分は以下の日本のFlashアニメの歴史についての記述。

3日本のFlashアニメーションの歴史

Flashが日本で注目されたのはFlash2の頃からである。Flashに早くから注目していたメンバーがFlashに関する質疑応答の場として「flash-ml」(現在のFlash-Japan)を開設したこと,「おしえて!!Flash」に代表される解説書がこの時期一挙発売されたことが理由であると考えられる。
Flashへの注目が高まったのがFlash4の頃,多くの個人や企業サイトでFlashが使われるようになり,ネット上での知名度も高まっていく。Flash5の頃には紹介サイトが続々誕生し,Flash情報はそこに集まるようになる。(その他のFlashのバージョン,詳しい機能については別紙にて)
そして,2000年頃からFlashは新しい時代を迎える。2000年の12月末頃から急速にブロードバンドが普及していき,大容量の動画ファイルを(お金と時間がかかるからといって)嫌がる人が減り,製作者側も容量を1Kバイトでも削るために,苦労しなくて済むようになった。2001年には「サザエさん」や「ドラえもん」,妙な音楽などをした違法お笑いFlashが爆発的に作られ,また,日本でおそらく初であろう長編Flashアニメーション「つきのはしずく」や文章を中心とした泣かせるFlash「キミとボク」なども発表された。
2002年始めに2ちゃんねる(以下2ch)にFlash・動画2ch掲示板が設立された。最初こそ職人があまり集まらなかったものの,同年の2ch内のムネオハウスブーム2)などが起爆剤となり,ハイクオリティなアニメーション,ゲームが続々発表される中で,そこを発表の舞台として活躍する人が多く集まるようになる。多くの職人は作品の主人公にアスキーアート(ASCII Code)の0x20〜0x7eに含まれる文字,記号によって描かれたアート,顔文字が主流)を使用し(比較的キャラが決まっているので,一から設定する必要がない,画力の差がそれほどでない,などの利点がある)たため,それらの作品は「2chFlash」と呼ばれるようになる。そこでFlashのカリスマ的職人も数多く生まれ,年末に紅白分かれてFlash新作の発表を行う「紅白Flash合戦」は大きな注目を浴び,マクロメディアが開催に際して祝辞を送ったほどである。
大熊猫 太郎.2008. 「Flashアニメーション」p.2

注釈部分はこんな感じ。

注 ※注・文献は9ポイント
(中略)
2)「ムネオハウス」とはこの時期に問題になった,鈴木宗男議員が不正に入札介入した宿泊施設の俗称だが,それを音楽ジャンル“ハウス・ミュージック”とひっかけたジョークスレッド「アシッドハウスムネオハウス」が2chのテクノ板に立ち(2002年2月14日),当該スレの97(21日)で鈴木氏の国会答弁での喋りをサンプリングした楽曲がアップされ,そうした曲を“ムネオハウス”と呼ぶことになった。
大熊猫 太郎.2008. 「Flashアニメーション」p.3

ばるぼら氏の「教科書が教えないニッポンのインターネットの歴史教科書」を参考にしているようです。