土井たか子氏 肺炎で死去 享年85歳 他

衆院議長の土井たか子さんが20日、肺炎のため、兵庫県内の病院で死去した。社民党が28日、発表した。85歳。葬儀は近親者で営んだ。党は後日にお別れの会かしのぶ会を開く。
1969年に旧社会党から衆院旧兵庫2区に出馬して初当選し、衆院議員を12期務めた。
86年に女性初の党首として、社会党の第10代委員長に就任した。リクルート事件や消費税が争点となった89年の参院選で「土井ブーム」を起こし、自民党を上回る46議席を獲得。与野党逆転を果たし「山が動いた」の名セリフを生んだ。
93年8月の細川連立政権の発足と同時に、女性として憲政史上初の衆院議長に就任した。

20日に肺炎で亡くなっていた土井たか子さん(享年85)の訃報を受け、民主党辻元清美衆院議員(54)が28日、大阪府高槻市内で取材に応じた。
この日、社民党時代の仲間から連絡を受け、恩人の死を知った。「だいぶ、へこんでしまった。しばらくぼうぜんとしました」とショックを受けたという。
辻元氏は、96年に土井さんから誘いを受け。社民党から立候補し初当選。「私にとって土井さんは、政治の母、師匠である、大きな存在。日本にとって非常に大事な方が亡くなってしまったという気持ち。特に私たち女性政治家にとっては、草分けとして、道を切り開いてくださった」と恩人への思いを話した。
故人の厳しくも優しい人柄をしのぶ場面もあった。「日頃は厳しくて、よく怒られた。最初に立候補した時『清美さん、食べながらしゃべったらあかん』と行儀まで怒られました」。また、議員当選1年目の大みそかに宿舎で仕事をしていると、土井さんが手作りのじゃがいもの煮物を差し入れてくれたことがあったという。辻元氏によると、土井さんは「清美さん、1人で宿舎おるんやろ。私じゃがいも炊いたから、お裾分け。私らの仕事は盆も正月もない。1人で頑張らなあかんこともある。だから、これ食べて頑張り」と励ましてくれたという。
議員として多忙だった土井さんを気遣い、引退後は連絡を控えていたという。ただ、引退直後の様子については「好奇心旺盛で、引退後も自転車で何回か転んで骨折したとは聞きました」。
最後に話したのは約4年前。早朝に土井さんから「どうしてる? 体は大丈夫?」と電話をもらった。辻元氏は「私をテレビで見て、連絡くださったようです。政権交代後で、しんどいんちゃうかと心配してくださった」と気遣いを振り返った。
また、護憲派として知られた土井さんの死を受け「土井さんが守ろうとしたものが危機にさらされている。そういう時代になってしまっているので、土井さんが目指された方向に持っていくのが使命。知らせを受けた後、自分で強く心に言い聞かせた」と決意を新たにしていた。
[2014年9月28日20時45分]

【函館】ロシアのアファナシエフ駐日大使は27日、函館市内で記者会見し、プーチン大統領の訪日について「日程は決まっていないが、訪日が行われるのは確実だ。ロシア側の準備はできている」と述べた。
ロシア政府高官の北方領土訪問や、ウクライナ情勢をめぐる日本の対ロ追加制裁で日ロ関係が厳しさを増していることについては「さまざまな困難はあるが、双方の努力で解決できる」と語った。
日ロ首脳は2月、今秋のプーチン氏訪日で合意。両国政府は11月を軸に日程を調整してきたが、アファナシエフ大使が今月11日、ロシア政府機関紙のインタビューで、日本の対ロ制裁により「日程はずれ込んだ」と公式に延期に言及した。
アファナシエフ大使は、初代駐日ロシア領事として1858年から65年まで箱館(現函館市)に滞在したゴシケビッチの生誕200年記念行事に合わせて函館を訪問し、記者会見した。<どうしん電子版に全文掲載><<