国後島から泳いできた男性 ワースフェニックス・ノカルド氏 インタビュー

先月19日、北方領土国後島から標津町まで泳いで来たとされるロシア人男性、ワースフェニックス・ノカルド氏38歳。9日と10日、HBCの取材に応じました。

「札幌出入国在留管理局の面会室で、私たちの前に現れたノカルド氏は、黒いTシャツ姿で、がっしりとした体格でした。標津町で発見されてから3週間。疲れた様子はありませんでしたが、神妙な面持ちで私たちの取材に答えました」(記者リポート)


「サメ、シャチがいることを知っていたので、それが怖かった。水温が低くて寒かった。国境警備隊に見つかったら送り返されると思った」(ノカルド氏)


ノカルド氏が泳いだという「根室海峡」。当時の水温は15℃。潮の流れは秒速およそ0.5メートルと速く、サメやシャチが生息する海域を、およそ25キロ、ウェットスーツとシュノーケルを身に着け、対岸が見えない中、コンパスを頼りに、泳いできたと話します。


命を危険にさらしてまで、国後島から来た理由は?


「とにかく前からロシアを出たかった。パスポートを盗まれてしまって、日本しか選択肢がなかった。ポーランドに住むか、ドイツに親戚がいるので、どちらかに住もうと思っていた」「今のプーチン氏には誰も逆らえない。黙っているか、国を出るかどちらかしかない」(ノカルド氏)


ノカルド氏は3年前に国後島に移住。住まいを構えたのは島の南側で、標津町に最も近い村でした。しかし…。


「連邦保安庁から目をつけられて、国後島に来た当日に捕まって尋問された。その後、いつも監視されていた。国後島はコネが無いといい仕事に就けない。明るい展望が見いだせない」(ノカルド氏)


国後島から標津町まで「泳いできた」と話すロシア人男性、ノカルド氏。国後島の自宅の壁には、一面に日本語が書かれていました。


「人は」「幸せ」「意志と良心」「雌竜(めすりゅう)を探している」(壁の日本語)


このメッセージが書かれた理由について、HBCの取材にこう答えました。


「(自宅の壁に日本語が書かれていましたが、どういう意味ですか?)ユーチューブを見てロシア語を訳しただけ。特に意味はない」(ノカルド氏)


 ノカルド氏は、先月27日、日本政府に「難民認定」を申請し、当面は送還されない見通しですが、私たちの取材の最後にこう話しました。

「ロシアでなければどこの国でもいい。平穏な生活を送りたい。ロシアには送り返さないでほしい。プーチン政権の時には少なくとも」(ノカルド氏)