択捉の旧紗那郵便局 解体される

ユジノサハリンスク栗田直樹】北方領土択捉島最大のまち紗那(しゃな)(クリーリスク)に戦前、日本人が建てた建築物「紗那郵便局局舎」=1930年(昭和5年)建設=が9日、ロシア側に解体された。北方四島に現存する数少ない「日本の証し」が戦後70年の節目に消えた。ロシア側は日本の建築物の跡地に、第2次世界大戦での対日勝利を記念する広場を建設する計画。実効支配の固定化を象徴的に示す狙いとみられる。
紗那郵便局局舎は木造で、紗那の中心部にあった。終戦後の1945年8月下旬、旧ソ連軍の択捉侵攻の緊急報はここから打電されたという。その後、ロシア側が郵便局として活用して以降、使われなくなり、近年は屋根が抜け落ちるなど老朽化が進み廃虚同然だった。
択捉島関係者などによると、9日午後、重機を使って取り壊し、数時間後に更地になったという。択捉島を事実上管轄するクリール地区行政府は跡地周辺に戦闘参加者の名を刻んだ記念碑などを設置し、勝利広場にする計画。当初、工事完了は来年の予定だったが、第2次大戦終結と定める9月に向け「勝利広場の建設を急ぎたい」(行政府関係者)としている。<<