ロシアのクナーゼ元外務次官 産経新聞インタビュー / 政府 北方領土交流事業の見直し検討

【モスクワ=遠藤良介】ロシアが日本との北方領土交渉で1992年3月に行ったとされる非公式提案について、ロシアのクナーゼ元外務次官が産経新聞と会見し、「平和条約の締結前に色丹(しこたん)島と歯舞(はぼまい)群島の日本への引き渡し手続を協議する内容だった」と説明した。提案をめぐっては対露外交に長く携わった東郷和彦・元外務省欧亜局長が異なる内容を1月8日付の本紙に証言しており、平和条約締結の時期などで食い違いが残る形となった。
クナーゼ氏によると、提案は当時のコズイレフ露外相と渡辺美智雄外相が会談した際、非公式の場でクナーゼ氏自身が口頭で渡辺氏に示した。核心は日ソ共同宣言(56年)が「平和条約の締結後に引き渡す」としている色丹、歯舞の引き渡し手続や時期について、条約締結に先立って合意しておくことにあったという。
提案では、(1)色丹、歯舞の引き渡し方法に合意(2)平和条約の締結(3)色丹、歯舞の引き渡し(4)日露両国で環境が整ったら残る国後(くなしり)、択捉(えとろふ)両島について協議する−との流れが想定されていた。ロシアが92年に2島の返還を提案し、択捉、国後の継続協議にも含みを残していたことを意味する。
この非公式提案については昨年12月、北海道新聞がクナーゼ氏へのインタビュー内容として報道。92年当時に駐米公使だった東郷氏は、外務省に残るメモを見る機会があったとし、クナーゼ氏の発言に本紙で反論した。
東郷氏によると、ロシア側の打診は(1)色丹、歯舞の引き渡し手続について協議(2)2島を引き渡し(3)2島の解決に倣う形で国後、択捉両島の扱いを協議(4)合意に達すれば平和条約を締結−との内容。国後、択捉について合意できなければ平和条約を締結する必要がないため、北方四島返還を求めるわが国にはより有利な状況だったことになる。
クナーゼ氏は、「露日間のあらゆる合意は政治的なものであると同時に、法的文書に立脚していなければならない。平和条約の締結前に歯舞、色丹を引き渡すことは日ソ共同宣言に反するため、不可能だと考えていた」と反論。「メモを残した人、もしくは東郷氏に誤りがあるのではないかと思う」と述べた。

日ソ共同宣言 日本とソ連の戦争状態終結、国交回復を定めた文書。第9項で「ソ連歯舞群島及(およ)び色丹島を日本に引き渡すことに同意する。ただし、これらの諸島は日本とソ連との平和条約締結後に現実に引き渡されるものとする」としている。
この非公式提案については昨年12月、北海道新聞がクナーゼ氏へのインタビュー内容として報道。92年当時に駐米公使だった東郷氏は、外務省に残るメモを見る機会があったとし、クナーゼ氏の発言に本紙で反論した。

東郷和彦・元外務省欧亜局長(京都産業大世界問題研究所長) クナーゼ氏の発言に対してはコメントを差し控える。私は(会談について書かれた)メモについて申し上げているからだ。メモは会見の記録で正しいと確信しており、私が見た内容の記憶もはっきりしている。
(当時の)ロシア側の提案は、(平和条約締結後に歯舞、色丹を引き渡すとする)日ソ共同宣言の内容とは異なる。ロシア側は、「共同宣言から譲歩する。だから、日本も(四島一括返還から)譲歩してほしい」という論旨で提案してきたのだろう。
あれだけ踏み込んだ提案を行った背景に、ソ連崩壊とそれにともなう世界情勢の激変があったのだろう。この際に北方領土問題を解決しようという、ロシア側の決意の表れだったのではないか。(談)

政府は29日、北方四島との「ビザなし交流」事業について、3年後をめどに見直す方針を決めた。若い世代の参加を促して北方領土問題について啓発するのが狙いで、4月から関係省庁や北海道、関係団体で構成する実務者チームで具体的な検討作業に着手する。
山本一太沖縄・北方担当相は閣議後の記者会見で、見直しの理由について「もっと戦略的な視点を加え、今やっていることがどう北方領土返還に結び付くのか考え直す時期に来ている」と説明した。今後の検討作業では、交流プログラムの視察中心から対話中心への転換、実施団体の一元化、参加者の固定化解消や学生の参加拡充に向けた選考手続きの変更を主な課題としている。 
これに関し、高橋はるみ北海道知事は同日、「北方領土問題の解決に資するという本来の目的に立ち返った方向性が示され、期待している」との談話を発表した。(2013/03/29-12:05)<<