鈴木宗男 北海道へ / 鳩山由紀夫 引退撤回正式表明は年内 / 前原外相 上空視察 / 津島雄二 東北新幹線全線開業でコメント

鈴木代表は席上、出席した役員や支援者ら約200人を前に、「刑の執行停止を求めても年をとるだけ。早く行って出てきた方が良いという現実的な選択をした」としながらも、「悔しさは残る。賄賂はもらっていない」と強調した。

−収監までの過ごし方は。
事務所で打ち合わせをしたり、家族との時間を少しでも取りたい。収監中に選挙などがあってもよいよう準備や態勢を引き継ぐ。(収監は)6日午後に東京高検に出向く。検察は配慮して裏口から入る段取りも言ってきたが、私は正面から堂々と行く。

こちらは三日に行ったインタビュー付きの記事。

鳩山氏は、11月下旬、複数の党関係者に「12月中に発表したい」と伝えた。

前原氏は視察後、機中で記者団に「北方領土問題をぜひとも解決したい。政治関係がしっかりしないと領土交渉ができないので、政治を安定させて粘り強くロシアと交渉したい」と強調。「領土問題が解決すれば、日露関係は強固になる。さまざまな布石を打ち、粘り強く進めなければ駄目だ」と述べた。

東北新幹線が全線開業した4日午後、青森市内で開かれた祝賀会で、関係者は実現までの38年間をそれぞれの思いで振り返った。
「まずはホッとしたけど、やっぱり、長すぎた」。県新幹線建設対策室の初代室長・奈良聖さん(80)は、元同僚と握手を交わし、喜びを分かち合った後、ポツリとつぶやいた。
奈良さんが室長に就任した翌年の1982年6月、盛岡駅まで東北新幹線が開通。しかし3か月後、政府は整備新幹線計画の凍結を閣議決定した。「あと少しで青森なのに」。当時の悔しさが今も忘れられない。
実現が遅れた最大の原因は、巨額債務に苦しむ当時の国鉄の経営難だった。地元選出の元衆院議員・津島雄二さん(80)は「必要性を検討する以前に、新幹線は赤字を生む悪だと見られていた。当時の世論は厳しかった」と振り返る。
(2010年12月4日21時37分 読売新聞)<<