7/24 田中真紀子 政治倫理審査会 弁明書

▽田中氏の弁明
一部週刊誌が公設秘書給与の一部が流用されたのではないかと報じたが、そのような事実は一切ないのでまず明確にしておく。
自民党政治倫理審査会の林義郎会長と亀井久興事務局長には2時間余にわたり資料を開示しつつ質問に答え、その結果2人は週刊誌が報じたような疑惑はないと明確に言明し、本来あの時点で一件落着したはずだった。
ところが自民党執行部はさらに党紀委員会に場所を移すという判断をした。開催の理由に挙げられた資料提出の要請に非協力的で資料を出さなかったということには理由がある。プライバシーや私企業の内部の資料、情報が週刊誌に右から左へリークされ、そのことで新たな疑惑がねつ造されることへの不信感があった。
ここ数年間の事務所の実態を言うと、親族秘書、政策秘書の不正採用、秘書からの寄付、企業からの秘書の便宜供与、名義借りなどは一切ない。
わたしの初立候補は極めて異例だった。(1993年)6月18日に衆院が解散され、その4日後に突然出馬表明した。(父の故田中角栄氏の)介護の中で、日本の福祉事情がいかに貧しいか痛切に感じ、その思いが突然の立候補につながり、秘書の人選が必要になるというのは立候補の当時、頭になかった。初当選後、東京専従の適当な秘書が見つかるまで、越後交通等の人に公設秘書として勤務してもらうしかなかった。議員秘書の身分は不安定。越後交通新潟県では優良企業で、将来的に安定している。秘書を受けるに当たっての彼らから絶対条件であると3つ提示された。会社に籍を置いたままに出向的扱いにしてくれないかということ、東京での勤務をできるだけ短期間にしてほしい、週末には家族の元に新幹線で帰らしてほしい、ということだった。
越後交通グループでは長男の比率が極めて高い。新潟県では長男の役割分担が非常に強く、東京での勤務を短期間にするのは家族の希望でもあった。
一時休職にしなかったのは、子育て中の働き盛りの人たちで、住宅ローン、借入金返済などがあった。退職金精算は在職期間の計算が重要で、維持が求められており、会社との間で了解されていた。初登院まで限られていたので、彼らが希望する通り出向の形を取るのが自然な成り行きだった。
秘書給与は国からの税金なので、必ず本人にトータルで最終的に帰属すること、会社の肩代わりがあってはいけないことは当時の社長と話し、秘書となった方たちとも申し合わせた。秘書給与の問題と企業の関係は皆さんに任せ、私はその時点から何の指示も関与もしていない。
国からの秘書給与は本人たちが衆院会計課から直接現金で受領した。開封せず袋のまま会計処理をする専門の担当者に渡された。越後交通本体の会計に国からの給与を混入したわけではない。秘書手当を本人に支払い、残高は最終的に会社からの給与、諸手当の精算に充てられた。会社の給与肩代わりはなく、秘書給与の一部たりとも私のところには戻っていない。
6月2日の党紀委員会で疑問点が示されたため再調査したところ、1998年2月から数カ月間、公設秘書の1人に対する会社の立て替え払いが未精算だった。人事異動に伴う引き継ぎのミスなどで、反省している。負の情報の開示だが、正直に報告する。即座に私の後援会から銀行振り込みで弁済した。
しかし、基本的には統一的ルールにのっとって国から支給されている給与は秘書本人に渡っていた。会社が秘書給与の肩代わりをしないという基本的な線も守られていた。結果として私が秘書給与を流用したことは断じてないと確認された。
現在ある国会の秘書給与制度の中で出向は認められている。そうすると国の秘書給与制度と企業の給料体系を調整しなければならない。そうした中で分かりにくい作業をせざるを得なかった。<<