鈴木宗男 妻との出会いに感謝

10月14日に石川代議士が結婚報告に来てくれた。事前に女房(典子夫人)から「阪中さんはとても感じの良い女性でした。好印象です」と手紙を受けていた。石川代議士は政治家としてこれからが本舞台である。そして現在は公判中で、つらく厳しい時である。そこに現れた阪中さんはなかなかの女性であると伝わってくる。石川代議士にとって大きな力になることだろう。
2人が知り合ったのはテレビ出演がきっかけという。やはり人生は出会いである。私は出会いをモットーに生きてきた。その最高の出会いはやはり結婚である。昭和44(1969)年、学生の時に中川一郎先生の秘書となり、1年後に下宿先の大家さんから「知り合いの女子学生の就職相談に乗ってくれないか」と頼まれ、私は「秘書がいいよ」と中曽根康弘先生の事務所にお願いした。2年後に今度は私が事務所の秘書を探すことになり、中曽根事務所に紹介していた女性をスカウトした。この女性こそが女房である。
仕事はテキパキこなし、愛想も良く、お客さんの評判、後援会の受けも良かった。当時人気絶頂であった山口百恵さん似ということもあり、何よりも中川一郎先生が気に入ってくれた。後で分かったことだが、中川先生は事務所に入った時から「鈴木君と一緒にさせよう」と言っていたそうだ。そんなことで自然に結ばれる流れとなった。巡り合わせ、縁とは本当に不思議なものである。
政治家の妻として一番大変なのは選挙である。地盤が安定するまでは、選挙区に張り付かなければならず、絶えず選挙民の目が気になり、気苦労が多い。女房のことで恐縮だが「奥さんは気さくで親しみやすい」と地元でかわいがっていただいた。そこに至るまでの女房の頑張り、努力にも頭の下がる思いだ。
私が過去、さまざまな苦難に直面した際も、女房は常に背中を支えてくれた。娘の言葉を借りれば「最高で最強のお母さん」であることに違いない。山と山は、どんなに立派なものでも、あの日本一の富士山でも、あの世界一のエベレストでも、出会うことはない。しかし人には出会いがある。その最高の出会いが結婚であることを、今一度心に刻みたい。「人生出会い」に改めて感謝しながら、家内にお礼を伝える日を待ちたい。

石川知裕議員結婚の話題を枕に、いつもの「家族の絆」ネタへと繋いでおります。