辻元清美 社民党に離党届を提出

離党会見前の報道

同党の大阪府連関係者によると、辻元氏は26日、重野安正・党幹事長と3、4時間にわたって話をしていたという。関係者は「驚いている。直接の理由は知らないが、辻元衆院議員は小選挙区の議員。支持者が社民、民主に分かれており、与党離脱後は選挙区事情が厳しくなって悩んでいた」と話した。
辻元氏の地元、高槻市三島郡選出の社民党の小沢福子・大阪府議は、離党の意向を知り「えっ」と声を詰まらせた。「全く聞いておらず、コメントのしようがない」と戸惑った様子だった。一方、昨夏の衆院選で辻元氏を応援した府内の民主党関係者は「参院選では対立関係だった。仮に民主へのくら替えを希望しても、うまくいかないだろう」とみている。
また、有権者からも同様に驚きの声が聞かれた。
辻元氏を支持してきた高槻市の男性(59)は、「与党離脱後は、無力感を感じていたのではないか」と心情を代弁した。「『権力への反発の精神』が魅力の人。離党すれば『民主に入るのではないか』と思われても仕方がない。支援者への説明が必要だ」と注文を付けた。大阪市内の社民党支持者の男性も「勇み足のような気がする。『護憲の党』である社民を抜けるのは寂しい」と語った。

社民党福島瑞穂党首は27日午前、都内の参院議員宿舎で離党の意向を示している辻元清美前国土交通副大臣と会談した。福島氏は会談後、記者団に「(辻元氏の)離党の決意は固い」と述べ、慰留したものの辻元氏が応じなかったことを明らかにした。

辻元氏離党の意向で「一緒に仕事したい」と前原国交相がラブコール (MSN産経ニュース)

前原氏は、「国交省で一緒に仕事をした戦友。すばらしい政治家だ」と辻元氏を評価。離党については「党を離れるということは、政治家にとって重い決断。最終的には本人の判断だ」と述べた。
将来的な民主党入りについては「離党も、入党も人から言われてするものではない。政治家としての判断が最も求められるところなので、コメントすることは僭越(せんえつ)だ」と明言を避けた。

ゲンダイの後追い記事。
以下は離党会見後の報道

社民党辻元清美衆院議員(50)=衆院大阪10区=は27日午後、大阪市内で記者会見し、「本日、私は社民党に離党届を提出しました」と離党を表明した。今後については「無所属議員として活動します」と述べた。

辻元清美衆院議員が27日、大阪市で行った社民党離党表明会見の概要は次の通り。
社民党に離党届を提出しました。まず始めに、初当選から「社民党の辻元」としてご支援いただいた皆様におわびを申し上げます。
苦渋の選択、非常につらい選択でした。かつて私も国会で「総理、総理」と批判の急先鋒(きゅうせんぽう)で活動してきました。
しかし一方、日本の政治状況は非常に危機的です。政権交代を逆戻りさせてはならない。批判だけでは日本を変えることはできない。(副大臣として)国交省で働く中で、いますぐ具体的に解決していく方向の政治を進めていきたい気持ちが強くなりました。
一番気になったのは沖縄のことです。基地問題に対する考え方はいささかも変わっていない。離党することで間違ったメッセージになったら困るので、一昨日に夜から沖縄に行き、帰って離党届を出しました。
――離党はいつから考えていたのですか。
参院選の前から考えてきた。地元の皆さんとも相談したが、一人で決めました。土井たか子さんは政治の母であり、お目にかかると決断が鈍る。本当につらくて、事前に相談できませんでした。
――福島瑞穂党首とは今朝どんな話を。
野党となった社民党は独自性を大切にして、反対、批判すべきはして、存在感を発揮して欲しいと申し上げた。しかし、私は(昨年の衆院選で)社民党だけでなく民主党国民新党の協力で選ばれた小選挙区の出身だ。地元有権者社民党の主張だけで私を選んだのではないと理解している。社民党が独自性を発揮していくだけでは(自分の立場は)難しくなってきている、ということもお伝えした。

なお、2002年に議員を辞職したときも会見は火曜日でした。

社民党福島瑞穂党首は27日、辻元清美衆院議員の離党表明について「今まで(在日米軍の)普天間基地、平和やさまざまなテーマで仲間として一緒にがんばってきたので本当に残念だ」と述べた。国会内で記者団の質問に答えた。
辻元氏の離党表明による同党への影響は「打撃だ」と認めつつも、党首の責任については「党が元気に政策実現をやって国民に応える政党を作るのが責任だ」と明言を避けた。
離党届の取り扱いについては「これからの議論」と述べるにとどめた。

振られた側のコメント。