インターネットと“世論”形成 またムネオハウスについての記載

昨年と同じ遠藤薫先生の著書。「第9章 : インターネットにおける文化実践と世論」の第3項「ネットを介した文化実践が身体性を見いだすとき - ムネオハウス・ムーブメント」でムネオハウスに関して言及が有ります。
ポイントは、2002年の論文「テクノ・エクリチュール−−コンピュータ=ネットを媒介とした音楽における身体性と共同性の非在/所在」では時期的に触れられなかったムネオハウスの衰退とその終末の部分について、

ネットを介した文化実践の多くは、あるいは全ての文化実践一般は、実は、政治/社会に関する意思表明の迂回路であると考えられる。
しかし、少なくともムネオハウスの場合、これに関与した人びとは、自らムネオハウスの意味無いし立ち位置を明確化することも、意識化することもないまま、一方では現実政治の激しい動向、一方では知的所有権問題の危うさ、また一方では理想主義的な市民政治運動など、多少なベクトルの交差するはざまで、無防備な子供のように途方にくれ、内部批判を繰り返しつつ、なすすべなくあっけなく自然消滅していったのである。
2004年7月29日、北海道札幌市中央区のクラブで、本物の鈴木宗男氏を招いて、「伝説のムネオハウス」イベントが開催されたというトピックが伝えられた。鈴木宗男氏は2004年7月の参院選出馬もあって出席したらしいが、主催者側はムネオハウスを歴史的ネタとして楽しもうとしただけであったようだ。このような、縮小再生産的プロセスをたどったのが、ムネオハウスにあらかじめ仕込まれていた現代社会状況の縮図とも言える。
遠藤薫 「ネットを介した文化実践が身体性を見いだすとき - ムネオハウス・ムーブメント」 『インターネットと"世論"形成−間メディア的言説の連鎖と抗争』 (東京電機大学出版局 2004) p.160

と述べているところ。