厨日新聞 平成14年5月4日号(関西版)

イベント会場前にて配布。参考に「厨日春秋」のコーナーを引用。

厨日春秋

先月中旬、板内には「森降ろし」の風が吹き荒れた。「国後はムネオハウスを中心としたNomadSongの国」「このムーブメントは日本のマスコミや代議士に対する『いいかげん・とんでもない革命』だ」など数々の失言を残し、最終的には板住民から不信任案を突きつけられてしまった。


▽パーティー前後の森氏の住民に対する呼びかけには目に余るものがあった。ただ、もちろん森氏の言動については批判されてしかるべきであるのだが、特定の考え方に対する攻撃となってしまうと、いささか度が過ぎているのではないかと思われる。


▽例えば「マスコミ対策など必要ない、いちいちスレにお伺いをたてるのはウザい」「ムネオラップの悲劇を繰り返さないためにも何らかの窓口が必要だ」「誰であれ、ある個人が代表的な役割を担うとムーブメントの方向性自体に制約が生まれないか」などと、スレッド上で主張が対立することはままあるが、ほぼ全ての意見にはなにがしかの根拠や妥当性があるものだ。


ムネオハウスの解釈には様々なものがあって良いはずだ。しかし振り返ってみれば我々は、ひとつ理想のムネオハウス像を描き、それは多くの人々に受け入れられるものだという錯覚に、無意識のうちに陥ってはいないだろうか。


▽実体としてのムネオハウスは国後にただひとつであり、それをどう捉えるかは各人次第である。現状の問題点を洗い出すためには批判的議論も大いにけっこうなのだが、そのときは2chの原点に立ち返り、この言葉を返されないよう常に自省的になるべきではないだろうか。

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  ( ´∀`)< オマエモナー

「厨日春秋」 『厨日新聞』関西版 2002年5月4日