MYCOM PC Webのコラムに掲載

福冨忠和氏のコラムにて

(前略)
(註)ここで「ムネオハウス」と言っているのは、短期間であっという間に自己増殖していった音楽をコアにした壮大な遊びといったもの。実はこのコラムの読者からも数回指摘や紹介のメールが寄せられていたのだが、鈴木宗男問題とハウスミュージックをからませた遊び、という以上はここでは詳しく触れないことにしたい。何故触れないのか、ということも詳しく書かないけれど、「野暮なことはしない」ということだ。18世紀のサロンやカフェなどにも、その中身やスタイルから政治的規制の対象になったものがある(知りたければ自分で調べてほしい)。
ムネオハウスはインターネット時代の「文芸的公共性」なのか

それとない触れ方が好印象。