山崎拓 石原幹事長らと会談 / 辻元清美 福島県副知事と会談 他

自民党山崎派山崎拓会長は27日夜、国会近くのホテルで石原伸晃幹事長、田野瀬良太郎幹事長代理ら同派関係者と会談した。政策グループ「さいこう日本」を結成した甘利明経済産業相の動向について意見交換したものとみられる。

辻元清美首相補佐官(災害ボランティア担当)は、県庁を訪れ、内堀雅雄副知事と会談した。辻元氏は「風評被害を吹き飛ばすためにも、一人でも多くの方に来ていただくのが大事」と述べ、観光とボランティアを組み合わせたツアーを積極的に推進していく方針を示した。観光庁と協力して福島県内での実施を働きかけるという。内堀副知事は、行政とNPO、ボランティアの調整の場を設けるほか、除染にボランティアの力を借りる考えなどを示した。【関雄輔】

県は27日、今後のボランティア活動を効果的に進めようと、「東日本大震災津波ボランティア連絡会議」を初めて開いた。ボランティア活動に取り組む県内外のNPOなど8団体のほか、国、県や震災後に発足した沿岸13市町村の復興期成同盟会など担当者約50人が出席し、支援のあり方について協議した。
活動報告では企業やNPOで構成する「災害ボランティア活動支援プロジェクト会議」の石井布紀子幹事が「(どの団体の)だれが何をしているのかが分からない。情報を共有し、さまざまな団体がリンクして支援につなげたほうがいい。情報発信の強化も必要だ」などと指摘した。
政府を代表して出席した辻元清美首相補佐官は「1人の力は微力だが無力ではない。心と絆の復興ができて初めて本当の復興になる。今日聞いたことは国の施策に反映したい」と述べた。【狩野智彦】

28日に帰港した北方領土墓参の今年度第2班が国後島沖を航行中に、同島内でロシアが実施している爆弾処理とみられる煙と爆発音を確認した。
確認したのは26日午後0時50分ごろ。一行が入域手続きのため道の漁業取締船で国後島の古釜布(ふるかまっぷ)に向かう途中、同島南西部の泊地区(ロシア名・ゴロブニノ)付近から黒っぽい煙が上がったのが見えた。爆発音は船まで響き、根室市内でも約7分後に同様の音と窓を振るわせる空振が発生した。
同島の爆弾処理とみられる空振は4月以降、根室市内で相次いでおり、在日ロシア大使館は「中古爆弾の処理で、年末までに終える」と説明している。(同行記者団)

第2班は元島民・遺族23人(平均年齢65・7歳)と同行者12人の計35人で、25日に根室港を出港。荒天で上陸が1日遅れ、オダイベケ墓地での慰霊祭は沖での洋上慰霊祭に変更されたが、留別(るべつ)とポンヤリの両墓地は27日に予定通り実施された。
両墓地周辺は砂地のため強風などで地形が変わりやすく、前回、平成16年の墓参時には見られなかった砂丘が点在。クマの足跡やフンも多く、ロシア人ハンター3人が同行し、警戒する中で慰霊祭が実施された。元島民の佐藤正洋団長(69)が墓標の前で「この墓参が自由に実施できる日が必ず到来することを信じて疑いません」と訴え、全員が祭壇に献花した。

◇入植3世「ここが故郷」

択捉島の海の玄関口である内岡(なよか)(ロシア名・キトーブイ)。北方四島を管轄するサハリン州の最大企業「ギドロストロイ」の水産加工場や、季節労働者用の宿舎が港湾沿いに建ち並ぶ。地元住民の話によると、工場の従業員は約2000人で、その8〜9割は夏の繁忙期に大陸のウラジオストクなどからやって来る学生アルバイトら季節労働者だという。ギドロストロイ社は水産加工のほか道路建設やリゾート開発も手がけ、島の経済を支える。
北方四島に舗装道路はまだない。港から択捉島の中心地、紗那(しゃな)(ロシア名・クリリスク)までの道路も土ぼこりが激しいが、平らにならし固められ、舗装の準備が進む。トヨタ製の四輪駆動車で案内してくれた行政府職員のターニャさん(35)は「6月に近くのアスファルト工場が稼働したから間もなく舗装工事が始まり、見違えるようになる」と胸を張った。
ターニャさんの祖父は戦後、シベリアから択捉島に移住。自身は島で生まれ育った「3世」、10歳の娘は「4世」になる。すでに亡くなった父が「幼いころ一時、日本人家族と一緒に住んでいたことがある」と話していたのは覚えているが、戦争直後の詳しい話はそれ以上知らない。日本の領土返還要求について尋ねると、「ここは私の故郷。他のどこにも行くつもりはない」と断言した。<<