音MADの源流とガ板文化【音MAD歴史考察】@ニュトーイのブロマガ

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3年前の2013年3月のブロマガ記事の続き。文中、以下のような感じで比較対象として度々引き合いに出されていました。

音MADの誕生と先駆者


既に記したことの繰り返しになるが、現在の「素材と曲を重ねる」タイプの音MADの原型は、現在確認できる限りでは、2ちゃんねるガイドライン板で2004年に興った「オンドゥル仮面ライダー剣)」と「接点T代ゼミ講師)」のブームの中で登場したものが最初と言えるだろう。それまでに主に面白Flashの名で既にネットでは様々な音声MADのネタが広まっていたものの、「巫女みこオンドゥル」の出現までは、「誰もが知っているあの曲」のサビにぴったり載せてネタ音声が入るようなMADは誰もみたことが無いような存在だったのだ。今回は、このガイドライン板(通称ガ板)を中心にしたニコニコ以前の音MAD事情に焦点を当ててみたい。なお、この記事の趣旨は音MADの起源を一つに特定するものではない。他の様々なムーブメントの影響があったとする意見も複数あり、それらもまた真実を含んでいると筆者は考えている。今回の内容は、恐らく偏っているとは思うが、一ガ板民の視点から見たニコニコ音MADの前史とでも受け取っていただければ良いと思う。


正確に言えば、2002年のムネオハウスの時代にも、権利上の問題からアルバムから除外された「黒曲」の中には、既存曲をベースに鈴木宗男議員の声を合わせたものがあった。これらは聴いてみると、曲と素材の組み合わせを狙ったと言うより、オリジナルのトラックの代替としてテクノやダンスミュージックの名曲を拝借したものであるように思える。何より、これらの「黒曲」は一度闇に葬られ、後に続くものが無かったのに対し、「巫女みこナース」のMADは定番となってニコニコ初期に繋がり、2015年現在でも新しい音MADが作り続けられている。今の音MADがどちらの血を引いているかは明白だろう。権利上の問題をコミュニティの中でチェックし、オリジナルの音楽を作ろうとしたムネオハウスの時代とは、今の音MADは目指す方向性が明白に異なっている。ただ、発想としては既存曲と素材の組み合わせという試みはオンドゥル以前にも存在したことは記憶に留めておかなければならないだろう。



(後略)
音MADの源流とガ板文化【音MAD歴史考察】:ニュトーイのブロマガ - ブロマガ (Internet Archive Wayback Machine)

備考 (2021/10/08)

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