学習院大学法学会雑誌第52巻1号

いつもどおり、遠藤薫先生の話の枕に登場していました。

3. 「保育園落ちた日本死ね」運動の展開

■日本における情報環境変化

日本においては, 間メディア・ムーブメント敵な動きは必ずしも多く起こっているわけではない. それが日本の特殊な状況であるともいえるが, まったくなかったわけでもない.
たとえば, 白血病治療薬解析プロジェクト「UD」(2000〜2007年), 田中真紀子解任に対する抗議(2002年), ムネオハウスムーブメント(2002年), 折り鶴運動(2003年8月)などは, その萌芽的な動きとも言える. ただし, これらはほとんどネット内で閉じており, そのために社会全体を巻き込む運動とはならなかった.

(後略)

遠藤薫「間メディア・ムーブメントの拡大と収束 - 「保育園落ちた」運動を事例として」 『学習院大学法学会雑誌第52巻1号』(学習院大学法学会 2016) p.89

ここで言う「間メディア・ムーブメント」とは「間メディア社会(対面メディア、マスメディア、ソーシャルメディアが重層的複合的に併存し、それらが起こす複雑でダイナミックなメディア間相互作用が埋め込まれた社会)で起こる社会運動」とのことです。

備考

記事投稿日: 2018年4月14日