東スポ「馳浩 苦節10年の入閣」

“苦節10年”ついに大臣へ――。安倍晋三首相(61)は7日午後、内閣改造を発表。文部科学相馳浩元文科副大臣(54)、環境相に元テレビ朝日アナウンサーの丸川珠代参院厚生労働委員長(44)を起用。馳氏初入閣は各メディアが一斉に報じた。19人の閣僚のうち10人が交代し、初入閣は9人。女性閣僚は1人減って3人になる。元五輪選手で史上初のプロレスラー出身の大臣となる馳氏にとって、2005年の副文科相就任から10年にして晴れの日が訪れた。
馳氏の文科相起用の一報が流れた6日深夜、インターネット上では関連ツイートが急増した。
「実現したら史上初の元プロレスラー大臣」という経歴への言及や「ジャイアントスイング!?」と現役時代の得意技に引っ掛けた反応、「ギャグじゃなかったのか」と驚く書き込みが見られた。
新国立競技場問題での混乱により退任が確実な下村博文文科相(61)は塾の運営など教育畑の出身で、スポーツの専門家ではなかった。馳氏はレスリング選手として1984年ロサンゼルス五輪に出場(グレコ90キロ級で2回戦敗退)の経歴に加え、母校の星稜高校(石川県)で国語を教えた教員歴もある。
そのためツイッターでは「今の時期の文科大臣には適任では」「向いているというか、この人しかいない感じがする」と好意的な受け止めも少なくない。一方で馳氏は同じ石川県を地元とする現五輪組織委員会会長の森喜朗元首相(78)と関係が深いことから「おそらく森氏への配慮」といった意見もつぶやかれた。
本人のホームページによると馳氏は85年、「勝つためだけでなく、人に感動を与えるためにスポーツをしたい」として長州力率いるジャパンプロレスに飛び込み、プロレスラーに転じた。その後は新日本プロレス全日本プロレスのマットでも活躍。新日本ではIWGPジュニアヘビー級王座を獲得するなど、人気と実力を兼ね備えた花形レスラーの一人に。2006年に引退した。
この間、95年の参院選自民党の推薦を受けて出馬し、石川選挙区で当選(後に自民党入り)。89年の同選挙で当選したアントニオ猪木氏(72=日本を元気にする会)に続くプロレスラー議員として話題を呼んだ。00年の衆院選に鞍替え出馬で当選。昨年の衆院選まで衆参合わせて7回の当選を果たしており、入閣への“条件”はすでに満たしていた。
03年には小泉純一郎政権で文部科学大臣政務官、05年には同副大臣に起用されたが、副大臣から大臣になるまで約10年の時が過ぎた。
06年9月発足の第1次安倍内閣以降は、大臣候補と言われながらも入閣や政務三役入りはなく、自民党の党務が中心になった。第1次安倍政権の文科副大臣で今年新設された五輪担当相に就任した遠藤利明氏(65)とともに、党のスポーツ立国調査会や超党派のスポーツ議員連盟で事務方などを務め、政界有数のスポーツ政策通として活躍。その傍ら、母校専修大学レスリング部監督、日本レスリング協会副会長などを歴任。13年には20年五輪の東京招致にも奔走した。
08年の党総裁選では、派閥の大先輩でもある森氏らの意向に反する形で同じ派閥の小池百合子氏の推薦人となり、小池氏落選もあって立場が危うくなったことも。13年には国会運営の問題で衆院予算委員会の筆頭理事を事実上更迭される屈辱も味わった。
副大臣就任から山あり谷ありの10年間を経て、大臣に。妻は94年に結婚したタレントの高見恭子(56)。馳氏のブログにしばしば「おりんさん」として紹介される娘がいる。
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