JASPMニュースレター103号

4/3付で発行された日本ポピュラー音楽学会のニュースレターに、昨年12月に行われた日本ポピュラー音楽学会第26回大会での大阪市立大学大学院・岡田正樹氏による個人発表「ムネオハウスにおける『CD化』」の発表報告が掲載。

A2-1「ムネオハウスにおける『CD 化』」岡田正樹(大阪市立大学大学院)

本発表は、2002 年の鈴木宗男事件をきっかけに、インターネット掲示板 2 ちゃんねるで誕生・展開した「ムネオハウス」の音楽が、CD の体裁へとパッケージ化されていったことの意味を考えるものであった。ムネオハウスでは、掲示板ユーザーらによって MP3 形式の楽曲が投稿されていった。曲の制作者を含むユーザーらはインターネット、パソコン、MP3 交換・共有ソフトなどのメディア技術を活用しつつ、楽曲群をアルバムへとまとめていった。カバーや帯、システムロゴなどの画像も市販 CD に準拠して作成され、収録曲や曲順の設定も行われて CD アルバムの体裁へと整えられていった。実際に楽曲データを CD-R に焼き、カバーなどをプリントアウトしてジュエルケースに収めた者もいたし、そこまではせずとも疑似 CD として楽しんだ者もいたようだが、本発表で問題としたのは音楽の脱モノ化と呼ばれる状況を進めることになる環境が成立する中で、インターネット上で発生・展開した音楽を、ディスクをモデルとしてパッケージ化していくことの意味である。

2003 年に発表されたムネオハウス論である遠藤薫「テクノ・エクリチュール」では、ムネオハウス参照元への批判(パロディ)や傾倒ではなく、参照元の意味を無化・脱臼させる表現という意味においてパスティーシュを創出すると指摘されていた。本発表ではまず、ムネオハウスパスティーシュの側面があるのは確かだろうが、それは政治的事件への参照の仕方であって、上記論文では扱われていなかったパッケージ化に着目することでパスティーシュとは別の側面が見えてくるとした。その上で、ムネオハウスのユーザーたちが、市販のディスクメディアを到達すべきあるいは批判すべき基準としてパッケージ化を進めたことを、当時の掲示板のログなどを資料として示した。そして、録音文化(録音を基盤とする音楽文化)における録音の機能の変容や音楽メディアと記憶との関係などに触れながら、アルバムの体裁として正典化し、脱モノ化しつつある状況下において減衰する、録音の集約機能や固定機能を補完する実践としてムネオハウスにおけるパッケージ化の意味を示した。

フロアの方々には多くの質問やコメントをいただいた。当時あるいはそれ以前の、他の音楽実践との違いや共通性についての質問、ムネオハウスにおけるパッケージ化の意味は本発表で示したものとは別のところにあるというコメントなどである。例えば後者について、市販 CD と見紛うような体裁に整えることで、ディスクを葬り去ろうという試みであったというご指摘をいただいた。こうした、葬り去るために相手をよく観察するといったような試みが、意識的になされたのかどうか現時点ではまだわからないが、確かにパッケージ化の試みを駆動させる重要な側面であったと思われる。贋金や、人魚のミイラ、化石のレプリカなど、音楽以外の隣接する行為との関係や、ムネオハウス以前の、インターネットや CD-R を用いた音楽実践との関係を踏まえつつ、今後も調査していきたいと考えている。
NL103(2015年4月)

果たして「ディスクを葬り去ろうという試み」していた人、当時いらしたんでしょうか。