野々村竜太郎氏関連での言及@日々の音色とことば

兵庫県議会議員・野々村竜太郎氏の謝罪会見をネタにしたMADやリミックスが大量発生した状況を受けて、同じ政治家ネタということで12年前のムネオハウスを引き合いに出した言説がソーシャルネットワーク上に湧いて出るようになっております。その中で上掲のツイートもされていた音楽ジャーナリストである柴那典氏によるクリエイター側に焦点を当てたブログ記事で、ムネオハウスが比較対象として取り上げられておりました。

■「祭り」の構造とクリエイティビティ
一つのネタが投下されると沢山のクリエイターがこぞってそれを「祭り」にする構造は、かつてあったムネオハウスと酷似している。でも、あの頃とは隔世の感があるのは、こうやって、ちょっと調べたら一人一人の音楽活動がすぐにわかること。そして、やってる人たちはみんな「遊び」と「仕事」の境界線が曖昧になってる、ってこと。
あの頃は2ちゃんねるのテクノ板だった。投稿した人は基本的には匿名の存在だった。でも、今はこんな風にしてプロとアマチュアの垣根なく、YouTubeニコニコ動画からツイッターをたどって、誰がやってるのがちゃんと明らかになる時代だ。
拙著『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』で書いたことにも通じるけれど、初音ミクの発売直後の「祭り」だって、基本的な構造は同じだと思うのだよね。一つの大きな「ネタ」が投下されて、みんながこぞってそれをオモチャにして遊ぶうちに、クリエイティビティっていうのは発揮される。「創造性」ってのは、個人の内面から自発的に沸き上がってきたりするようなものだけでなく、「遊び場」の熱気から生まれるようなものでもあると思うのです。
しかも、ニコ動やYouTubeは投稿の再生数が伸びればクリエイターにとっての収入になるプラットフォームでもあるわけで。
(後略)
「一人の政治家が日本中のミュージシャンのクリエイティビティに火をつける現象」に名前をつけたい。 - 日々の音色とことば

はてブの反応が中々趣深い記事でした。