「(元)放送部員の嘆き」による音MADの歴史の説明

2007年以降ニコニコ動画上で見られるようになった音MADと呼ばれるジャンル。その歴史をまとめようと試みる仲邑飛鳥氏によるシリーズ第一回で、歴史のはじまりとしてムネオハウスが挙げられていました。

ここは考え方がわかれる部分だとは思いますが、個人的には「ムネオハウス」を挙げてみる。
やや時系列がずれますが、FLASH全盛期で行けば「ドラミちゃんの絵描き歌」、「宇宙刑事ギャバン」などは、ネタ動画の中でも曲を弄ったり、別の素材からのセリフを差し込んだものが人気を博していました。
そんな中でムネオハウスは、「1つの統一したジャンル(政治,鈴木宗男)」で1つの曲(オリジナル曲ではあるが…)をMADとして作ったという点で音MADに近いものなのではないかと考える。当時の流れはこの記事がわかりやすいかも。
ムネオハウスはちょうど10年前の今頃から始動している。その月日を考えても都合がいいんですよ委員長!
ニコニコ動画だけでも非常に多くの楽曲を視聴することができる。ある意味音MAD1大ブームの魁と言えるかも。
ちなみにムネオハウスの主要なPVをかの「わかむらP」も制作していたことはもっと知られるべき。
…ライブイベントが開催されたこともありましたが、当人が逮捕されてからはブームが緩やかに収束。ムルアカ失職。
(後略)
(元)放送部員の嘆き 音MADの歴史 その1(〜2005年)

この他に代ゼミ、引越しおばさんが併せて取り上げられていました。

備考

記事投稿日: 2013年2月6日