国後島から100万円の寄付 / 鈴木宗男 週プレ連載第8回

根室北方領土国後島を拠点にウニ漁をするロシアの水産会社社長、マキシム・マイストレンコさん(37)が3日、東日本大震災の被災者のためにと、根室市の花咲港で市内の水産加工会社「ファイン」の瀬戸久勝社長(63)に100万円を託した。
マイストレンコさんはウラジオストク出身で、長年、日本へのウニ輸出に携わってきた。根室ではファインも含め3社と取引があり、2日に自社の運搬船に乗り根室に到着した。100万円は北方領土では大人1年分の給料に相当するが、マイストレンコさんは「船を買ったりできたのも日本のおかげ。日本国民を助けたいと思う僕の気持ちだ」と、100万円を瀬戸さんに託し、岸壁でがっちり握手を交わした。
瀬戸さんは「ロシア人から寄付をもらうのは初めて」といい、被災地支援を行う根室市に支援資金として手渡すことにしている。

震災時に刑務所長が見せた柔軟な対応。これが今、菅首相に必要なリーダー力だ!

われらが鈴木宗男新党大地代表(前衆議院議員)は獄中で東日本大震災に遭遇した。以下は、3月17日に鈴木さんから届いた手紙だ。
地震の被害が日を経つごとに大きくなっている。亡くなられた方々、ご遺族の皆様に心からのお悔やみと、被災された皆様に心からのお見舞いを申し上げます。政府はもとより、全国会議員に、与野党関係なく、この難局に立ち向って頂きたい。心から心から、切に願います。
ここでは限られた情報でしか状況を把握できませんが、喜連川社会復帰促進センターから、一人でも多くの行方不明者の無事と、被災された方々のご回復を強く念じております。
地震発生時(3月11日14時46分頃)、私はお年寄りの入浴介助の為、車椅子を押し、ちょうど浴室の前に着いたところでした。最初は立ったまま、お年寄りが座っている車椅子を支えていたのですが、揺れは段々と強くなり、かつ長く、立っていられない状態になりました。
「車椅子を離してはいけない」と、しっかり持ってその場にしゃがみました。浴槽(家庭用と同じ大きさ)を見ると、お湯が30〜40cmくらい波だっていました。少しおさまったところでお年寄りを居室に戻し、私達も自室に避難しましたが、その後も強い余震がひっきりなしに発生し、不安でした。
さくら市は震度5強との発表です。ここは粘土質で地盤がしっかりしていると聞いておりますが、近くの宇都宮市が6強でしたから、実際はそれに近かったと思われます。
私は4歳の時、昭和27年3月の十勝沖地震M8.2、平成6年10月の北海道東方沖M8.2、平成15年9月の十勝沖M8.0を経験していますが、今回のM9.0はとてつもなく大きなものです。当初気象庁はM8.8で、阪神・淡路大震災M7.3の約180倍と発表していたので、いかに大きな地震であったか、その凄さがわかります。
地震発生後、喜連川社会復帰促進センターの対応、危機管理態勢は見事なものでした。職員、刑務官は直ちに全員集合し、各室異常ないか確認、点検をしていました。驚いたのは夕食が予定通り用意され、普段より30分早く配食されたこと。これでみんなに安心感を与えることができました。12日の朝食も予定通りでした。水道もトイレも通常通り使えましたが、念の為、水道が止まった時の事を考え「バケツ等に水をくむように」と、タイムリーに指示がありました。17時すぎには、今回の地震による安否確認の為の手紙発信を、1人1通受け付けると臨時放送があり、私も19時に家内宛に速達を出すことが出来ました。電気も停電することなく、緊急時の自家発電対応も万全とのことでした〉

喜連川社会復帰促進センター(刑務所)のセンター長がしっかりしているから、受刑者に与える不安を極小化することができた。菅直人首相も肝を据え官邸から動かないことが重要だ。

2011/04/11日号より。見出しで煽っているだけで、今回の内容はいつもの菅首相批判とは関係有りません。