ネットワーク社会 ムネオハウスに触れる2002年の論文が掲載

今月発行の一冊。学習院大学教授・遠藤薫氏が2002年8月に執筆した論文「コンピュータ・メディアに媒介された小公共圏群と間メディア性の分析 ― 小泉政局においてネット「世論」と既存マスメディアはどのように相互参照したか」が収録されていました。
タイトルの通り、2002年1月からの田中真紀子外相更迭に始まる一連の流れを分析したものですが、同時期に書かれ、2003年に書籍に採録された「テクノ・エクリチュール − −コンピュータ=ネットを媒介とした音楽における身体性と共同性の非在/所在」と同様に、この論文でもムネオハウスの話題が登場しています。出現場所は最後の締め。

ネットワーク公共圏のもう1つの問題

本章で見てきたように、2002年1月29日の真紀子解任劇の際、ネットワーク小公共圏では沸騰現象が生じた。沸騰のなかで、当然のように、首相官邸あるいは国会周辺えのデモ行動が呼びかけられ、ネット上での議論を見ている限り、いままさにネットの向こう側にいる無数の匿名者たちが実体として姿を現そうとしているやに感じられた。けれども、実際には、何らの具体的行動もされなかったのである。ネットワーク小公共圏への参加者達は、あくまで無身体の状態に留まったのである。
この後にネット上の小公共圏から生じた興味深いムーブメントして「ムネオハウス」が挙げられる。2002年2月半ばから、2ちゃんねるを中心に、鈴木宗男氏に関するTV報道(インタビュー、記者会見、国会中継、ワイドショー)のサンプリングによるハウスミュージックがネット上に公開され始めた。多くは匿名の作者によるもので、ダウンロード可能な状態で掲載された。その数は急激に増大し、専用のサイトも多数開設された。まもなく、音楽にとどまらず、ジャケットや動画も作成されるようになった。3月4日には、ネット上の呼びかけに応えて、都内でイベントが開催され、1000人以上の参加者が集った。この出来事はマスメディアでも再三紹介された。同様のイベントはその後も繰り返された。
なぜデモ行動は行われず、ムネオハウスには多くの人が集まったのか。今日のネットワーク小公共圏を考える上で、この問題は一種の鍵であるかもしれない。(5)

*付記 本稿は2002年に書かれたものである。刊行が遅れたため、その後の展開についての筆者自身の議論が先に公刊されたものも多い。
遠藤薫 (2002) 「コンピュータ・メディアに媒介された小公共圏群と間メディア性の分析― 小泉政局においてネット「世論」と既存マスメディアはどのように相互参照したか」 『ネットワーク社会』 (ミネルヴァ書房 2005) p.99

2003年3月に行われたNHK放送文化研究所での遠藤先生講演の下敷きはこの論文だったのかなという印象ですね。
なお注記には

(5) この問題に関しては遠藤(2003a)参照。また、本章の後に書かれた遠藤(2004)も参照いただきたい。
遠藤, 前掲, p.100

とあり、参考文献一覧から、ムネオハウス自体を主題とした上記の論文が採録された『電子メディア文化の深層』(2003)と、付記にあるようにその後書かれ、ぼんやり消えていったところまで触れている『インターネットと<世論>形成』 (2004)を挙げています。

備考

記事投稿日: 2011年12月9日
引用に当たり、数字表記を変更しました。