教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書 「ムネオハウス」に関する記載

掲載は2カ所。

初期ラウンジラジオコミュニティとしての「ムネオハウス」系

一つ目は第三章「ウワサ話はネットにのって」内の「ネットラジオのように」の記事。「ねとらじ」の初期ラジオコミュニティとして、「ムネオハウス」系が挙げられています。

ラウンジラジオ

(前略)
「ラウンジラジオ」の盛り上がりを受けて01年12月末に作られたサイトがダイフク氏の「らじちゃんねる」、現「ねとらじ」である。現在はほとんど面影はないが、当時は「ラウンジラジオ」のために作られたサポートサイト的色合いで、ガイドや過去ログ倉庫を配しながら、放送のためにラジオサーバを貸し出していた。ここを原点に「ねとらじ」は日本語で使える手軽な無料ラジオサーバサービスとして、躍進していくのである。
ここで生まれた初期ラジオコミュニティには、「ラウンジラジオ」以外にも、テキストサイト管理者による放送の「テキスト」系、2ちゃんねる葉鍵板の最萌トーナメント実況・応援ネットラジオとしてスタートした「萌えラジ」系、当時話題だったハウス曲「ムネオハウス」系などがある[註*12]。
(後略)
ばるぼらネットラジオのように」 『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』 (翔泳社 2005) p.281

ムネオハウス」系と呼ばれるところは、らじちゃんねる内に"ムネオハウス局"が開設され、垂れ流し放送が常時行われていた事と、宮大工氏の「失うものは何もない」を筆頭としたコテハンネットラジオの事を指す形になると思われます。
特に02年4月頃の宮大工氏の放送については当時大手個人ニュースサイトだったTECHSIDEがトピックとして取り上げいた事もあり、当時としてはかなり多い常時100名以上のリスナーを獲得していたので、ネットでの注目はある程度あったと言えます。
また脚註の「ムネオハウス」についての記載は以下の通り。

[註*12]ムネオハウス

02年2月14日に2ちゃんねる「テクノ」板に立てられたスレッド「アシッドハウス=ムネオハウス」を発祥とする、鈴木宗男の声をサンプリングで使用した音楽ジャンル。ピークは02年前半。初めは「ムネオハウス」という語をハウスミュージックの1ジャンルとして扱おうとする冗談だったが、発言者97番(21日)が実際にアップした音源に「ワロタ」「かっこいい」などレスがつき、それに続いて複数人によって徐々に曲のアップがなされ、ついにはクラブイベントに発展したもの。普通こうした他人の声を素材にした楽曲は、権利関係上メディアが取り上げることはほどんど無いが、鈴木宗男は公人なので問題ないと判断されたらしく、週刊誌などでも取り上げられた。04年5月29日、札幌市中央区のクラブ「Bar Moon」で行われたイベントになんと本人がゲスト出演。
ばるぼらネットラジオのように」 『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』 (翔泳社 2005) p.281

このばるぼら氏の「ムネオハウス」の解説は、この後の文献等でムネオハウスが登場する際に採用される説明の標準となっています。
最後にこの「ネットラジオのように」の項の参考URLにTECHNO板の初代「アシッドハウス=ムネオハウス」が名前を連ねています。

MURU-CORE PV

二つ目は第4章「個人サイト新世紀〜そしてウェブログへ」内の「動画・FLASH(21世紀のコンテンツ)」の記事にて、MURU-CORE PVが文中に登場しています。

Flashイベントの広がり

02年はジャンルの拡散とでもいうべき初期傑作が続出した。ムネオハウスを扱ったFLASHの中でも群を抜いていた「MURU-Core PV」(KIKI氏/3月)、切ない歌と物語が印象的な「しぃのうた」(NNSJ氏/3月)、入力した文字が『ルパン三世』風タイトルバックになって表示される点プレ系FLASHの代表的存在「ルパン三世風タイトルメーカー」(ぶんぶん氏/7月)、あまりの完成度でPV系と呼ばれるジャンルを創設してしまった「1000キタ━━━ (゚∀゚≡(゚∀゚≡゚∀゚)≡゚∀゚) ━━━━!!!!!!!!!!」(スキマ産業氏/9月)、海外まで巻き込んだ「戦えキッコーマソ」(ヨガ鳥氏/11月)などだ。
(後略)
ばるぼら 「動画・FLASH(21世紀のコンテンツ)」 『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』 (翔泳社 2005) p.370

参考URLはKIKI氏、スキマ産業氏のWebサイトが掲載されています。