拉致被害者家族 社民党に「何を今さら」

土井党首が今になって謝罪したことは、被害者家族の神経を強く逆なでした。
昭和58年7月、デンマークで失跡した元神戸市外大生の有本さん拉致から19年。
嘉代子さんは「何を今さら。謝罪されても遅すぎる」とこれまで抑えていた怒りを爆発させた。
55年5月、スペインで失跡した元日大生の石岡さんが札幌市内の家族に宛てた手紙によって、恵子さんら欧州で拉致された3人が北朝鮮にいることが判明したのは63年9月のこと。
石岡さんの家族から連絡を受けた嘉代子さんは、自宅の神戸市に近い、兵庫県西宮市の土井事務所を訪ねたが、その後、連絡は何もなかった。
嘉代子さんは「社民党北朝鮮に太いパイプがあるといっても、日本国民より北朝鮮に気を使っていたのでは」とし、「いずれにしろ、拉致で社民党には何も期待していない」と断じた。
それどころか、この土井事務所への相談が、「恵子さんらの『同時処刑』につながった」との見方もある。
当時、土井事務所は、朝鮮総連側にこの件の連絡を入れたとされる。
恵子さんら2人が死亡したとされるのは、手紙が届いてからわずか2カ月後の同年11月。
日朝関係筋は「朝鮮総連を通じて、石岡さんらが内密に日本の家族へ手紙を送ったことが、本国の知るところとなり、『同時処刑』された可能性もある」とする。
石岡さんの家族も地元の社会党に相談した際、「口外しないように」とだけいわれたといい、土井党首の謝罪は、遅きに失した感は否めない。<<