鈴木宗男関連裁判 東京高裁再審認めず / 鈴木氏側 特別抗告へ

受託収賄やあっせん収賄などの罪で実刑が確定し、服役した鈴木宗男参院議員(76)の再審請求について、東京高裁(三浦透裁判長)は25日、請求を退けた東京地裁決定を支持し、弁護側の即時抗告を棄却した。


鈴木議員は同日、東京都内で記者会見し、「私はやっていないし、真実が明らかになっていない。憤りの気持ちでいっぱい」と語り、最高裁に特別抗告する方針を明らかにした。


三浦裁判長は、東京地検特捜部が作成したとする「尋問シナリオ」などの弁護側新証拠は確定判決に影響しないとした地裁決定について、「不合理な点はない」と判断した。


確定判決によると、鈴木議員は北海道開発庁長官、官房副長官だった1997~98年、林野庁への口利きに対する見返りなどとして、計1100万円の賄賂を受け取るなどした。

即時抗告を行ったのが19年3月25日だったので、実に丸5年かかりました。

坂田利夫氏 死去 82歳

アホの坂田」の愛称で親しまれたコメディアンの坂田利夫さんが、29日に老衰のため大阪市内で亡くなった。82歳だった。


坂田さんは1964年にデビュー、67年に前田五郎さん(故人)と漫才コンビコメディNo.1」を結成し、数々の賞を受賞。若手のころから、西川きよし・ヘレン夫妻と仲が良く、西川家に居候して3人で若い時代を切磋琢磨した。「あっちこっち丁稚」(朝日放送)で共演した後輩の間寛平とは54年間の親交があり、先日は82歳の誕生日を間寛平夫妻が祝い、大変喜んでいたという。最期も親族と間寛平夫妻に見守られながら息を引き取った。


(後略)

津島雄二氏 死去 93歳

厚相や自民党税制調査会長などを務めた元衆院議員の津島雄二(つしま・ゆうじ)氏が10月25日午後7時35分、老衰のため東京都内の病院で死去した。93歳だった。


旧大蔵省の官僚を経て、1976年衆院選自民党から旧青森1区に出馬して初当選。2009年の政界引退まで11期務めた。


1990年に海部俊樹内閣の厚相として初入閣。2000年に森喜朗内閣で2度目の厚相に就いたほか、党旧橋本派平成研究会)の会長職を継承し、津島派を率いた。

ジョン・ムウエテ・ムルアカ氏 死去 62歳

鈴木宗男参院議員の秘書のジョン・ムウエテ・ムルアカさんが急死していたことが1日分かった。62歳だった。


宗男氏のブログによれば、ムルアカさんは8月30日に日本から海外への便に搭乗した機内で、心停止で死亡が確認されたという。


出発前に宗男氏には「これから行ってきます。本当に有難うございました。いろいろお世話になり感謝しています」と連絡があったといい、「これが最後の会話となってしまった。何という世の無常かと、ただただ涙が流れた。(中略)日本人以上の『日本人精神、義理、人情、恩義』を忘れず、私を慕ってくれた。何ということかとただただ涙してやまない」と投稿した。


ムルアカさんはザイール(現コンゴ民主共和国)出身で、1985年に来日。ザイール政府の通訳を務め、研究者・教育者としても日本やザイールの大学で教鞭をとった。


また宗男氏の私設秘書も務め、身長2メートル9センチで、街頭演説で宗男氏が聴衆に囲まれてもすぐに居場所が分かると話題になった。


2006年にはボビー・オロゴンと暴行騒動が発生し、格闘技のリングで決戦かとも騒がれ、テレビにも国際政治学者として、出演。日本国籍を取得し、現在も自身の仕事の合間を縫って、宗男氏の手伝いをしていた。
 

宗男氏は1日のブログで「ジョン・ムウエテ・ムルアカ君の突然の死に、多くの人からお悔やみの言葉を戴いている。佐藤優さんから『鈴木先生が大変な時、ムルアカ君自身も外務省から嘘話、デタラメな情報を流され、バッシングに遭いましたが、鈴木先生を裏切らなかった同志の一人でした』と哀悼の言葉を戴いた」と投稿した。


また歌手の松山千春とも長年、親しい関係にあった。宗男氏はブログに「ジョンが大変な時、物心両面で気を使い、支えてくれたのが松山千春さんである。千春さんからも『あのジョンがどうしたんだろう』と悲しみを共有してくれた。私の事務所の仲間も3日前まで一緒に仕事をしていたので、信じられないという思いである」と寄せ、突然の訃報に涙に暮れているという。

詳しい死因や現在の状況については、まだ事務所側にも連絡が入っていないという。

NEWSポストセブン 鈴木宗男氏インタビュー 「日ロを安倍・プーチン時代に戻したい」